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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)5140号 判決

主文

一  被告と甲野太郎との平成六年一月一七日付消費貸借契約に基づく原告甲野花子の被告に対する金四八九万〇二七一円とこれに対する平成七年三月一日以降支払済みに至るまで年五・三四パーセントの割合による金員の支払債務、原告甲野一郎、同甲野春子の被告に対する各金二四四万五一三六円とこれに対する平成七年三月一日以降支払済みに至るまで年五・三四パーセントの割合による金員の支払債務について、被告の補助参加人に対する別紙目録記載の保険金債権が存在することを理由に支払を拒絶する抗弁の付着しない債務は存在しないことを確認する。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分しその一を原告らの、その余を被告の負担とし、補助参加に要した費用は、補助売人の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告と甲野太郎との平成六年一月一七日付消費貸借契約に基づく原告甲野花子の被告に対する金四八九万〇二七一円とこれに対する平成七年三月一日以降支払済みに至るまで年五・三四パーセントの割合による金員の支払債務、原告甲野一郎、同甲野春子の被告に対する各金二四四万五一三六円とこれに対する平成七年三月一日以降支払済みに至るまで年五・三四パーセントの割合による金員の支払債務が不存在であることを確認する。

第二  事案の概要

本件は、甲野太郎(以下、「太郎」という。)が被告の住宅ローンより借入れをなすに際して、契約者及び保険金受取人を被告、被保険者を太郎とする補助参加人の生命保険(以下、「本件保険契約」という。)に加入したところ、太郎が死亡したことにより被告に右ローン残債務に相当する保険金請求権が発生した結果、住宅ローン上の債務が消滅したこと等を理由として、その不存在の確認を求めた事案である。

一  前提事実(争いのない事実及び弁論の全趣旨により認められる事実の他は、認定に供した証拠を( )内に表示)

1 太郎は、補助参加人の左記生命保険(以下、「本件個人保険」という。)に加入していた。

保険の名称 終身プランささえA種一〇

倍型

契約日 昭和六一年八月一日

契約者 太郎

被保険者 同

保険金 金二五〇〇万円

終身保険金 金二五〇万円

特約 疾病入院特約・成人病入院特約・手術特約・災害入院特約・妻の災害入院特約・傷害特約・災害割増特約・妻の傷害特約

2 太郎が本件保険契約の告知をなした平成五年一二月三〇日までの入通院関係は次のとおりである。

(一) 入院

<1> 平成四年六月二七日~同年七月二一日(二五日間)

藤田胃腸科病院(以下、「<1>の入院」という。)

<2> 平成四年八月一七日~同月二五日(九日間)

済生会京都府病院 (以下、「<2>の入院」という。)

<3> 平成五年三月八日~同月一七日(一〇日間)

済生会京都府病院(以下、「<3>の入院」という。)

<4> 平成五年八月二三日~同年九月三日(一二日間)

済生会京都府病院(以下、「<4>の入院」という。)

(二) 通院

<1>の入院を終えた後、平成四年八月四日から平成五年一二月二四日まで太郎は藤田胃腸科病院に月に二回から四回程度通院していた。

3 本件個人保険の保険金の受取及び診断書の提出

太郎は<1>の入院について補助参加人に対し、平成四年八月五日、本件個人保険の入院保険金の請求をなし、その際、補助参加人に藤田胃腸科病院医師の診断書を提出したが、右診断書には診断名として多発性胃潰瘍、肝障害との記載がなされ、胃潰瘍は入院後加療を行い軽快したが、肝機能障害が発見され現在精査を行う予定である旨記載されていた。

太郎は<2>の入院についても補助参加人に対し、同年九月二二日、本件個人保険の入院保険金の請求をなし、その際、補助参加人に済生会京都府病院医師の診断書を提出したが、右診断書には診断名として慢性肝炎と記載され、初診時の所見及び経過としては、入院時、肝臓の局所に障害を認め、薬剤注入治療を施行し、退院となる旨記載されていた。

4 被告は、太郎に対し、平成六年一月一七日左記の要領により金一〇五〇万円を貸し付けた(以下、「本件消費貸借契約」という。)。

(一) 最終回返済日 平成二一年一月一七日

(二) 利率

年五・三四パーセント、但し、次の(三)により毎月返済する部分の毎月の利息は、毎月返済する部分の残元金に年利率を乗じた結果を一二で除する方法により計算し、次の(三)により半年毎に返済する部分の利息は、半年毎に返済する部分の残元金に年利率を乗じた結果を二で除する方法により計算する。

(三) 返済方法

貸付金一〇五〇万円の内金五二五万円については平成六年二月一七日から毎月一七日(休日の場合は翌営業日)に元利均等返済方式により金四万二四五二円ずつ返済し、残金五二五万円については、平成六年二月一七日から毎年二月一七日と八月一七日(休日の場合は翌営業日)に元利均等返済方式により金二〇万八五四一円ずつ返済する。

5 被告は、本件消費貸借契約の締結に際し、被告と補助参加人との間において締結されていた団体信用生命保険契約(以下、「本件団信保険」という。) に、別紙目録記載のとおり太郎を被保険者として加入させた。

6 本件団信保険については、約款が制定されており(以下、「本件約款」という。)、その適用を受けるものであるところ、その第二三条においては、保険契約者又は被保険者は、保険契約の締結又は追加加入の際、保険会社が所定の書面を持って告知を求めた事項についてその書面により告知することを要する旨(一項)、保険契約者又は被保険者が、故意又は重大な過失によって前項の告知の際に事実を告げなかったか又は事実でないことを告げた場合には、保険会社は保険契約又は保険契約のその被保険者についての部分を将来に向かって解除することができるが、保険会社が、その事実を知っていた場合又は過失のため知らなかった場合には解除することができない旨(二項)、右規定による解除権は保険会社が解除の原因を知った時から一か月以内にこれを行わなかった場合又は保険契約が契約日(追加加入の被保険者については、その追加加入日)から起算して二年を超えて継続した場合には消滅する旨(四項)規定されていた。

7 太郎は、本件団信保険に加入するにつき、団体信用生命保険被保険者加入申込書兼告知書と題する書面(以下、「本件告知書」という。)に左記のとおり記載して、平成五年一二月三〇日、補助参加人に提出した。

(一) 最近三か月以内に医師の治療・投薬を受けたことの有無を尋ねる間(以下、「告知事項1」という。)について、傷病名欄を空白とし、発病又は受傷欄に平成四年六月二七日との記載をなし、治療方法の欄で服薬中に丸印をつけた。

(二) 過去三年以内に肝臓病、胃潰瘍等特定の病気やけがで手術を受けたこと又は継続して二週間以上の入院及び医師の治療・投薬を受けたことの有無を尋ねる問(以下、「告知事項2」という。)について、傷病名欄に胃潰瘍、発病又は受傷欄に平成四年六月二七日、完治欄に平成四年七月二一日と記載し、入院欄は有に丸印をつけ、日数二五日と記載し、手術欄は無に丸印をつけ、病状の経過欄には良好と記載した。

右記載がなされた当時、太郎は、自らが胃潰瘍及び慢性肝炎であるとの認識は有していた。

8 太郎は平成七年二月七日死亡し、太郎の妻である原告甲野花子、太郎の長男である原告甲野一郎、太郎の長女である原告甲野春子が太郎の遺産を法定相続分に従い相続した。

太郎が死亡した時点における本件消費貸借契約の残元金は九九二万〇六九七円であったが、その後、いわゆる自動引落により平成七年二月一七日の約定返済分の返済がなされたので、残元金は九七八万〇五四三円になっている。

9 本件保険契約上の保険金請求及び本件保険契約解除通知の事実

被告は太郎の死亡に伴い、平成七年三月一六日、補助参加人に本件保険契約上の保険金の請求をなしたが、補助参加人は被告に対し、平成七年四月二〇日付の書面により、太郎が本件告知書によりなした告知において故意又は重大な過失により事実を告げず又は事実でないことを告げたことを理由に本件保険契約を解除する旨通知した。

二  当事者の主張

1 原告らの主張

(一) 当事者間の合意に基づく債務の消滅本件消費貸借契約を締結するに際し、太郎と被告との間で、太郎が死亡時にその時点での残債務について具体化された保険金請求権により残債務が消滅する旨の合意が当事者間でなされたものというべきであり、本件債務が消滅する時期としては、保検事故後に消費貸借上の債務が存続することは不当なことから、保険金が現実に支払われた時ではなく、被保険者死亡により保険金請求権が具体化した時に債務が消滅すると解すべきである。

(二) 目的到達による消滅

本件団信保険は、与信契約上の債権を回収することを目的にしているものであるから、保険金請求権が具体化した時に与信契約に基づく債権は目的達成により消滅するというべきであり、本件においては、被保険者である太郎が死亡したことにより、具体的な保険金請求権が発生し、これにより被告に対する残債務は目的達成により消滅したというべきである。

(三) 被告の債務不履行に基づく損害賠償請求権を自働債権とする相殺

太郎に告知義務違反はなく、補助参加人の保険金不払は契約違反であり、被告が法的処置をとれば保険金の支払を得ることができたのであるから、被告は原告らの為に太郎の告知義務違反の有無を調査し、事実を究明した上で支払を得るための法的処置を取るべき法的義務を有するというべきであるにもかかわらず、被告は形式的に補助参加人に本件団信保険の保険金の請求をしたのみで、その後何らの調査も行うことなく保険金不払のまま放置しており、原告らは、被告の右債務不履行に基づき被告が補助参加人に請求すれば受け取れるはずであった太郎死亡時の本件貸付残元金九七八万〇五三四円及びこれに対する死亡時から支払済みまでの年五・三四パーセントによる割合による損害賠償請求権を有することから、原告らは平成九年八月二九日被告に到達した準備書面において右損害賠償債権と本件消費貸借契約上の債権を対当額で相殺する旨の意思表示をなした。

(四) 信義則違反に基づく貸金債務の免責

本件保険金は被告の本件消費貸借契約上の債権の担保というべきものであるところ、債権者は債務の弁済について利害関係のある者に対し、当該債権の担保について善良な管理者の注意義務をもって保存しなければならない信義則上の義務を有していると解すべきところ、本件において被告は、保険金支払の条件が整っているにもかかわらず、補助参加人から保険金の支払を拒絶されたところ、何らの措置も取らず放置していることは、被告としての右善良な管理者としての注意義務を尽くしていないことは明らかであるから、本件消費貸借契約上の債権の担保である保険金について利害関係を有する原告ら相続人は被告に対し、民法一条二項ないし民法五〇四条の類推適用により、本件消費貸借上の債務について免責を主張できると解すべきである。

(五) 右(一)ないし(四)は、(一)及び(二)が主位的主張であり、(三)及び(四)が予備的主張であり、(一)、(二)及び(三)、(四)はいずれも選択的な主張である。

(六) 補助参加人の太郎の告知義務違反に基づく解除の主張に対して

(1) 告知義務違反の不存在

告知事項2について、太郎に要求される告知事項は、過去三年以内に肝臓病で肝動脈塞栓術を受けたこと及び過去三年以内に胃潰瘍、肝臓病で、継続して二週間以上の入院及び医師の治療・投薬を受けたことが考えられるが、肝動脈塞栓術については、太郎は、肝動脈塞栓術は施されたものの、右施術を施したとは全く聞かされておらず、腹部血管造影による検査であると聞かされ、そのような認識があったにすぎないものであり、肝臓病の治療で手術を受けたとの認識が全くない以上、太郎にこの点での告知義務違反は認められない。告知事項2後段部分については、告知書の要求するところは、「継続して二週間以上の入院をし、且つ継続して二週間以上の医師の治療・投薬を受けたこと」 であるから、これに該当するものは太郎の場合、<1>の入院のみであり、この入院時に、医師の治療・投薬を受けたのは胃潰瘍のみであり、太郎は、右入院についてはその期間、日数、手術の有無、病状の経過を正碓に記載している。したがって、告知事項2については、告知義務違反はない。

告知事項1に該当するものは、告知日前三か月の藤田胃腸科病院での治療・投薬であるが、これについて、太郎は傷病名欄を空欄としているが、発病又は受傷欄については、平成四年六月二七日と<1>の入院日を告知しており、更に、治療方法欄で服薬中に丸印を付けている。しかも、補助参加人としては、<1>の入院についての太郎の本件個人保険の入院給付金請求において、太郎より多発性胃潰瘍、肝障害と記載されている診断書を受領しているのであるから、右記載をもって、補助参加人に対し、多発性胃潰瘍及び肝障害について告知日まで服薬していることを告知したものといえ、告知事項1についても太郎に告知義務違反は存しない以上、補助参加人の本件保険契約の解除は認められない。

(2) 告知事項についての補助参加人の悪意

太郎が肝臓病であることは太郎の<1>及び<2>の入院に際して、太郎が補助参加人に対し、本件個人保険の入院給付金の請求をした際に、右請求書に添付された診断書により補助参加人は知っていたのであるから、補助参加人は普通保険約款二三条二項但書ないし商法六七八条一項但書に基づいて本件保険契約の解除をなしえない。

2 被告の主張

告知義務違反の有無については、被保倹者であり、告知義務者である住宅ローンの借主において最も多く知るところであり、借主死亡後はその相続人らが最も情報を入手しやすいものであり、銀行には死亡した借主の病歴、死亡原因等を究明する能力もないことから、原告らの主張する義務を認めることはできない。

3 補助参加人の主張

(一) 本件保険契約の解除理由について

告知事項2に記載のある「継続して二週間以上の入院及び医師の治療・投薬」とは、入院と医師の治療・投薬を通じて二週間以上となれば、告知を要するものと解すべきであるから、太郎が本件告知書が提出された平成五年一二月三〇日以前に、肝臓病で<2>ないし<4>の入院をし治療を受けていたことは、告知事項1及び2の双方に記載すべき事項であり、更に太郎は肝動脈塞栓術の手術を二回受けていたことも告知事項2に記載すべき事項であり、太郎は、右事実について認識していたにもかかわらず、本件告知書には肝臓病についても肝動脈塞栓術についても何ら記載しなかったものであるから、太郎の行為は被保険者の故意又は重大な過失により、告知の際事実を告げなかったか又は事実でないことを告げた場合に該当し、補助参加人は、本件約款第二三条ないし商法第六七八条第一項に基づき本件保険契約を解除できる。

(二) 補助参加人が悪意である旨の主張に対して

補助参加人においては、団体信用生命保険に関する事務処理は、企業保険管理部団体信用保険課が管掌し、個人保険に関する事務処理は契約部が管掌しており、個人保険に関する事項のうち、入院給付金関係の事務処理は契約部給付金課が担当していたものであり、保険契約締結後二年を越えるものに関する給付金支給は給付金課長に決定権限があり、太郎が個人で加入していた保険についても給付金課長が支給決定の権限を有していたものであるから、給付金課担当者及び同課長は自らの職務権限との関係において太郎の病状を認識したにすぎず、職務とは無関係に補助参加人の代理人として一般的に太郎の病状を認識したものとはいえず、入院給付金課員に保険契約締結権限はなく告知を受領する権限もないのであるから、右担当者らの認識を持って補助参加人の認識ということはできない。

たとえ給付金課担当者らの認識をもって補助参加人の認識となしえたとしても、太郎への入院給付金支払日は<1>の入院につき平成四年八月一二日であり、<2>の入院につき同年一〇月六日である一方、本件保険契約における太郎の告知は平成五年一二月三〇日であるから、補助参加人の認識は告知日より一年以上も前の認識にすぎないものであり、本件告知日における太郎の病状を認識していたとはいえない。

三  争点

1 団体信用生命保険付きの貸金債務の消滅時期

2 太郎が補助参加人に告知すべき事項

3 太郎の告知義務違反の有無

4 補助参加人の告知事項についての悪意又は過失の有無

5 被告が原告らに対して負う義務の内容

6 信義則上、本件消費貸借契約上の債務の免責が認められるか。

四  証拠《略》

第三  争点に対する判断

一  太郎の入院・受診経過について

《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1 太郎は、平成四年六月二七日から同年七月二一日までの間、胃潰瘍で医療法人祥佑会藤田胃腸科病院に入院した(<1>の入院)が、その入院期間中肝臓疾患のあることが発見され、同年七月二一日藤田胃腸科病院退院の後、同年八月四日以降平成五年一二月二四日までの間、右病院に、胃潰瘍及び肝臓癌の加療のため通院した。この間の病名は、胃潰瘍・肝硬変・肝臓癌であった。右病院は、平成五年一二月二四日以前に、太郎に対し肝疾患の病名を肝膿瘍と告げていた。

2 藤田胃腸科病院の紹介により、太郎は、平成四年八月一七日より同月二五日までの間、済生会京都府病院に入院した(<2>の入院)。右入院中の平成四年八月一七日になされた説明に際して作成された承諾書には、手術・麻酔・検査欄の検査の部分に丸印が付けられ、診療行為の内容として、「施行予定平成四年八月一九日午後一時、腹部血管造影、鼠径部皮膚を局所麻酔したのち、大腿の動脈よりカテーテル挿入し、肝臓の血管造影し、診断に供する。必要であれば、薬剤注入する。」と記載されていた。そして、同月一九日午後一時頃より腹部血管造影検査が行われ、肝臓癌であることが判明するとともに、肝臓癌の治療として、肝動脈塞栓術が施された。

3 その後、藤田胃腸科病院で経過観察がなされていたが、平成五年三月八日より同月一七日までの間、藤田胃腸科病院の紹介により、太郎は再び済生会京都府病院に肝臓癌の治療目的で入院した(<3>の入院)。入院中の平成五年三月八日になされた説明に際して作成された承諾書には、手術・麻酔・検査欄の検査の部分に丸印が付けられ、診療行為の内容として、「施行予定平成五年三月一〇日午後一時、腹部アンギオ、鼠径部を局所麻酔したのち大腿動脈よりカテーテル挿入する。必要であれば薬剤を注入する。」と記載されていた。そして、同月一〇日午後一時頃より腹部血管造影検査及び肝動脈塞栓術が施された。

4 退院後、藤田胃腸料病院において経過観察がなされたが、同年八月二三日より同年九月三日までの間、太郎は藤田胃腸科病院の紹介により、再び済生会京都府病院に肝臓癌の治療目的で入院した(<4>の入院)。同病院では、同年八月二三日頃、太郎に対し、太郎の病名を肝血管腫と告げたが、家族には従来から肝臓癌と告げていた。<4>の入院中である同年八月二三日になされた説明の際に作成された承諾書には、手術・麻酔・検査欄の検査の部分に丸印が付けられ、診療行為の内容として、「施行予定平成五年八月二六日午後、腹部血管造影術を施行します。術中、術後軽度の発熱、疼痛あります。また、穿刺部よりの出血の可能性もあります。」と記載されていた。そして、同月二五日午後〇時半頃より、腹部血管造影検査及び肝動脈塞栓術が施された。(なお、右承諾書に記載された検査の施行予定である平成五年八月二六日との記載は、あくまで予定日にすぎないものであり、《証拠略》によると、実際に腹部血管造影検査及び肝動脈塞栓術が施行された日は、同月二五日であると認められる。)

5 退院後、本件告知日に至るまで藤田胃腸科病院において、再び太郎の経過観察が行われた。

二  争点1について

原告らは、本件保険契約の保険金請求権の具体化によって貸金債務は当事者の合意ないし目的の到達により消滅すると主張するので、この点について検討するに、本件告知書の裏面には、「この保険は、大和銀行を保険契約者、大和銀行から融資を受けられた人を被保険者として、被保険者が死亡(高度障害)した時、当社が所定の保険金額を大和銀行(保険金受取人)に支払い、大和銀行がその保険金を当該債務の返済に充当することを目的とした団体生命保険です。」及び「この保険はご加入者(被保険者)に万一のこと(死亡または高度障害)があったとき、保険金を残存債務の返済に充当することによって、お借入期間中における家計の安定を図ることを目的としておりますので、この保険に加入されたことについて、ご家族の皆様に充分ご説明くださるようお願いいたします。」と記載されていることから明らかなように、本件団信保険は、被告が原告らに対して有する貸金債権について、その回収を確実にするために被告が加入しているものであり、その実質においては、貸金の担保的機能を有するものであることは明らかである。そうすると、保険金請求権の具体化のみで貸金債務が消滅すると解すると、保険契約が被保険者死亡後告知義務違反等により消滅した場合や保険会社が保険金の支払能力を失った場合等、被告において保険金による貸金の回収が不可能になった場合に、本件団信保険の担保的機能が果たされなくなる危険があり、このことに鑑みると、保険金請求権の具体化により貸金債務が消滅すると解することは相当でない。しかし、右のとおり、本件団信保険は、貸金の回収を図るために締結されているものであるから、保険契約者としては、保険金が支払われ、現実に貸金の回収が図られれば、被保険者の相続人に対する貸金債務の支払を免険する意思を有しているものと解するのが合理的であり、被保険者としても保険金が支払われた場合には、貸金債務を免除してもらう意思を有していたものと解するのが合理的であることから、当事者間の合理的意思解釈として、保険金が現実に支払われることを停止条件とする債務免除契約が当事者間で締結されていたと解するのが相当である。

右のように解すると、借主が死亡後、保険金が現実に支払われるまでは、被告は原告らに対して貸金の返還請求ができるとも考えられるが、無条件に被告が原告らに対して貸金の返還請求をすることを認めると、被告は、原告らから貸金の弁済を受けた後、保険金の支払を受けることにより、他人の生命をもって二重に利得を得る可能性があり、本来、本件団信保険が有する担保としての目的を逸脱することになる。更に、借主としても、借主死亡時には、最初に被告から保険会社に対し保険金の請求をしてもらい、保険金が支払われない場合に限って遺族に対する請求がなされるものと考え本件保険契約に同意していることは明らかであり、被告としても、借主が右期待を有し、保険契約に同意していることを十分認識して保険契約への加入を求めていることは明らかであるから、本件消費貸借契約の当事者の合理的意思解釈として、原告らは、借主死亡に基づく保険金請求権の存在を理由に支払を拒絶できる抗弁権を有する旨の黙示の特約が締結されていると解するのが相当である。そして、借主死亡後本件団信保険金請求権の有無について争いのある場合に、原告らが右抗弁権を主張した場合には、被告において右保険金請求権の不存在を訴訟上確定させるか、少なくとも本件消費貸借上の債務に関する訴訟の中で保険会社に訴訟告知して補助参加の機会を与えた上、同訴訟の中で右保険金請求権の存否について参加的効力を生じさせる方法により同訴訟において右請求権が存在しないとの判断を得た上でなければ、被告は原告らに対して貸金を請求できないものと解するのが相当である。このように解しても、貸主としては、保険会社又は借主のいずれかから貸金を回収する権利を保障されるものであり、本件団信保険の担保的機能は正にその点に存在するものであるから、貸主に不測の不利益を強いるものではないし、また、保険会社としても、保険請求権の有無について二重に裁判の当事者となる危険はないから、不当に不利益を被るということもできない。

この点、被告は、被告が原告らに対して請求をなそうとする場合に、被告に保険金が支払われないことを訴訟上明確に確定させることを求めることになると、保険契約締結の状況に詳しくない被告に過大な負担を負わせることになる旨主張するが、被告は、前述のとおり、保険会社に対して保険金請求の訴訟を提起せずとも、被告の原告らに対する貸金請求訴訟ないし原告らの被告に対する債務不存在請求訴訟において、借主の遺族から、団信保険金請求権の存在が主張された場合に、保険会社に対し訴訟告知することにより、保険金請求権の存否を同訴訟において明碓にすることは可能なのであるから、被告に過重な負担を負わせるものではない。

更に、補助参加人は、貸主である保険契約者兼保険金受取人としては、約款上定められている請求手続をなせば十分であり、保険契約者と被保険者が異なる以上、借主の相続人が法的手続をなしえないのは当然である旨主張するが、前記認定のとおり、本件保険は担保的機能を有するものであり、保険料の支払人は形式的には保険契約者である貸主であるが、実質上の保険料負担者は借主であることは顕著な事実であるから、その実質において、借主が保険契約に加入し、右保険金債権に貸主が質権を設定する場合と変わらないというべきであり、貸主が保険契約者兼保険金受取人として、約款所定の手続をなせば十分であるということはできない。

したがって、本件においては、保険会社が補助参加しているから、本件団信保険金請求権が被告にあると判断される場合には、右請求権が存在することを理由に、原告らは被告からの貸金返還請求を拒めるものと解するのが相当である。

三  争点2について

1 商法六七八条の「重要ナル事実」とは、保険者がその事実を知っていたならば契約を締結しないか、契約条件を変更しないと契約を締結しなかったと客観的に認められるような、被保険者の危険を予測する上で重要な事実をいうものと解すべきであるところ、本件約款において、告知は保険会社が作成した所定の書面をもって行うことになっており、このような場合には、右書面(いわゆる告知書)に掲げられた事項は一般的にすべて重要な事項と一応推定されるべきものと解するのが相当である。

本件告知書によると、最近三か月以内に医師の治療投薬を受けたことがある場合のその傷病名、治療方法及び就業状況と過去三年以内に肝臓病、胃潰瘍等の病気やけがで手術を受けたこと又は継続して二週間以上の入院及び医師の治療投薬等を受けたことがある場合のその傷病名、発病又は受傷日、完治日、入院の有無、手術の有無及び症状の経過が告知事項として規定されている(告知事項1)ところ、前記認定の太郎の診療状況からすると最近三か月以内に医師の治療投薬を受けたことについては、胃潰瘍及び肝臓病で服薬通院中であることがこれにあたり、過去三年以内での特定の病気やけがで手術を受けたこと又は継続して二週間以上の入院及び医師の治療投薬を受けたこと(告知事項2)については<1>の入院における胃潰瘍がこれにあたり、肝臓病については、肝動脈塞栓術を三回受けていることから、肝臓病について手術を受けたことが右告知すべき重要な事実であると認められる。(この点、補助参加人は、告知事項2中の「継続して二週間以上の入院及び医師の治療・投薬」との文言について、入院と医師の治療・投薬を通じて二週間以上となれば告知を要するものと解釈すべきと主張し、<2>ないし<4>の入院についても告知の対象であると主張する。しかし、右文言の記載から一義的に右のような解釈が可能であるとはいえず、原告ら主張のように、継続して二週間以上の入院に加え、継続して二週間以上の医師の治療・投薬を受けた場合に告知すべきことを求めているものであると解釈する余地も十分にあり、更には、医師の治療・投薬を受けた入院期間(つまり、検査のみの期間は除くという趣旨)が継続して二週間以上である場合に告知すべきことを求めているとも解釈する余地があり、右各解釈による場合には、<2>ないし<4>の入院については、入院期間が一四日未満であることから、告知事項2に対する告知事項とはならないことになり、たとえ、告知事項2について補助参加人主張のように解釈するのが相当であると解する余地があったとしても、前記認定のとおり、太郎は、告知事項2につき、<1>の入院については、胃潰瘍で入院していたことにつき明確に告知していながら、<2>ないし<4>の入院については告知していないことからして、告知事項2については<2>ないし<4>の入院について告知事項にならないとの解釈を自らなした上で、右事実を告知しなかったと推認することができる。そして、太郎は、補助参加人と比較し、保険契約について専門的知識を有していなかったことからすると、太郎が、補助参加人主張のような解釈をなさずに、自らの解釈に基づき<2>ないし<4>の入院について告知しなかったとしても、太郎に重大な過失があると認めることはできず、他に、太郎に、<2>ないし<4>の入院を告知しなかったことにつき故意又は重大な過失があると認めるに足りる証拠はない以上、<2>ないし<4>の入院が告知すべき事項にあたるとしても、この点を捉え、補助参加人が太郎の告知義務違反を理由に解除することはできないものと解するのが相当である。)

2 右事実についての太郎の認識としては、告知事項1に関する胃潰瘍及び肝臓病、告知事項2に関する胃潰瘍については、前記認定のとおり診断書の受領及び医師からの肝臓疾患である旨の病名の告知により認識していたものと認められるが、肝臓病についての手術経験の有無については、前記認定のとおり、肝動脈塞栓術を受ける際に太郎が署名していた承諾書上、検査との記載がなされていたことからすると、太郎の認識としては検査との認識しか有していなかったと認められる。

3 したがって、告知事項1についての胃潰瘍及び肝臓病、告知事項2についての胃潰瘍については、太郎が告知しなかった場合に告知義務違反になりうる事項であるが、告知事項2についての肝臓病及び肝臓病についての手術の経験については、告知しなかった場合でも告知義務違反にはならない事項であると認められる。

四  争点3について

右認定事実によれば、太郎は、告知事項1の傷病名において、胃潰瘍及び肝臓病と記載しなければならないにもかかわらず、空白のまま補助参加人に提出していることが認められることから、この点において太郎には告知義務違反が存することが認められる。(この点、原告らは補助参加人が本件個人保険を通じて認識した事情をもって告知義務を果たしている旨主張するが、右事実は補助参加人が告知事項について悪意か否かにおいて判断すべきことであり、告知義務違反の有無において補助参加人の認識を考慮すべきではないというべきである。更に、《証拠略》によると、同下との記載が後に追加された事実が認められるが、同下との記載が太郎ないし太郎の指示のもとになされたと認めるに足りる証拠はなく、更に、たとえ同下との記載が太郎ないし太郎の指示のもとになされたとしても、同下は胃潰瘍を指すものであり、肝臓病については何ら告知していないのであるから、太郎に告知義務違反が存することは明らかである。)

五  争点4について

1 補助参加人の悪意又は過失について

本件約款上、保険会社が告知すべき事実を知っていた場合又は過失のため知らなかった場合は、告知義務違反が存する場合でも解除できない旨記載されていることから、本件が右場合に該当するか検討する。

前記認定のとおり、太郎は、胃潰瘍及び肝臓病について告知すべきであったところ、右事実について、補助参加人が悪意であったと認めるに足りる証拠は存しない。

この点、原告らは、太郎が補助参加人の本件個人保険に加入しており、右保険加入中に胃潰瘍及び肝臓病で入院し、入院給付金を受領していたことから、補助参加人は太郎が胃潰瘍及び肝臓病であったことについて認識していたものである旨主張するが、太郎の保険金請求により補助参加人が認識した内容をもって、補助参加人の悪意とみなす余地があったとしても、本件における補助参加人の認識は、太郎が保険金請求をなした平成四年八月五日(<1>の入院に関して)又は同年九月二二日(<2>の入院に関して)現在における認識にすぎないものであり、本件告知書には、「告知書の有効期限は告知日より融資借入日までの三か月間とし、これを経過した場合には再度提出して下さい。」との記載がなされていることをも考慮すると、告知日から三か月を超え一年以上も前の補助参加人の認識をもって、本件告知日における補助参加人の悪意とみなすことはできず、また、当時の認識をもって本件告知日当時の補助参加人の悪意を推認することもできないものと解さざるを得ない。

2 補助参加人の過失について

本件約款上の「過失によって知らなかったとき」 とは、保険者が自己の不利益を防止するため、取引上必要な注意を欠いたことをいうと解すべきところ、前記認定事実によれば、太郎は本件告知書の告知事項1の傷病欄を空白し、かつ、服薬中に丸印を付けて、補助参加人に提出しているところ、この段階で、補助参加人としては、太郎の補助参加人における従前の保険加入状況を確認し、診断書の提出されていた病院に確認する方法、ないしは本人を通じて当該病院に確認させる方法により、前記認定の太郎が告知すべき事項である胃潰瘍及び肝臓病について容易に知ることができたというべきであり、補助参加人は本件告知書を受領する際に必要とされる取引上の注意を欠いた過失があるといわざるを得ない。(なお、《証拠略》によると、同下との記載がなされているが、右記載がなされた経過は明らかではなく、補助参加人が、右取引上の注意を果たした上で、同下との記載がなされたと認めるに足りる証拠は存しない。)

この点、補助参加人においては、告知受領の取扱い部署と保険金支払の部署が異なり、多数の保険契約者を抱える補助参加人に、被保険者の同社における生命保険加入状況についてまで調査させることは、取引上必要な注意とまではいえないとも考えられないではないが、本件においては、太郎が提出した本件告知書において、告知事項1については発病日及び治療方法が記載されており、傷病名欄のみ空白になっていたことからすると、太郎に何らかの告知事項があるべきことは補助参加人に認識可能であったということができ、このような場合に、補助参加人が、被保険者に対して従前の補助参加人における保険加入状況を確認するなり、コンピュータによる保険加入者の情報収集を行うなりして、右調査を行うことは比較的容易であったと考えられる。したがって、補助参加人に右調査の懈怠に基づく責任を負わせても酷とはいえず、かえって、保険金支払と告知受領の担当部署が異なることを理由に補助参加人の過失を否定することは、一般通常人であれば、同一の会社に対して診断書等を提出した場合には、同一の会社に提出したものであると判断すると考えられることに照らすと、右信頼に違背するとともに、補助参加人の体制不備の責任を一被保険者に負わせることになり、妥当でないと解される。

したがって、本件においては、太郎は、従前補助参加人において加入していた本件個人保険において胃潰瘍及び肝臓病について通知しており、補助参加人は、太郎が入院加療していた病院も把握していたことから、右事実を前提に本人に確認ないし病院への照会等、取引上必要とされる行為を行うことにより、告知事項について知り得た蓋然性は高いということができる。したがって、補助参加人は、自らの過失により太郎の告知事項を知り得なかったものであり、補助参加人は太郎の告知義務違反を理由に解除することはできないものと認めるのが相当である。

六  争点5について

原告らは、被告に原告らの為に太郎の告知義務違反の有無を調査し、事実を究明した上で支払を得るための法的処置を取るべき法的義務が存すると主張するが、太郎と被告との間において、前記認定のとおり、保険金債権の不存在等が碓定するまで貸金の支払を拒絶できる旨の特約が締結された事実は認められるものの、被告が右法的義務まで負う旨約したと認めるに足りる証拠は存しない。

七  争点6について

前記認定のとおり、本件保険は、被告の貸金の担保的機能を有することから、被告としては、保険金請求権が消滅しないようにすべき信義則上の義務を一定程度負うというべきであるが(具体的には、保険金請求権を放棄したり、時効消滅させたりしないようにする程度の義務は負うものと解される。)、本件において、原告らは被告の保険金を請求せずに放置していることのみをとらえて信義則違反を主張しているものであり、原告らとしては、前記認定のとおり、被告からの貸金債務給付請求に対して、抗弁として、本件団信保険金請求権の存在を主張することにより、あるいは、被告が給付請求をなしてこない場合には、自ら債務不存在確認訴訟を提起し、右主張を再抗弁として主張することにより、被告からの貸金請求を拒むことができるのであるから、被告が保険金請求をせずに放置していることのみをとらえて信義則に反するものと解することはできない。

八  以上によれば、原告らの請求は、補助参加人から被告に対して保険金が支払われた事実が認められないことから、本件債務の不存在については理由がないものの、被告の補助参加人に対する保険金請求権が存在することを理由に支払を拒絶する抗弁の付着しない債務は存在しないことになるから、右債務の不存在を確認する範囲で理由がある(原告らの請求は、本件債務の不存在碓認にあるが、右請求には、本件債務の全部不存在が認められない場合でも、量的・質的に一部の不存在が認められる場合には、右一部の不存在の確認を求める趣旨を含んでいるというべきであり、本件のように抗弁権の付着しない債務の不存在を確認することについても原告らの請求の一部認容として許容され、処分権主義に反するものではないと解される。)。

(裁判長裁判官 前坂光雄 裁判官 大西忠重 裁判官 島崎邦彦)

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